継承が大河を為す 岩崎弥太郎と三菱四代 書評

REEさんに照会して頂いた書籍「岩崎弥太郎と三菱四代」を読み終えた。

規模は全く違うけれど、継続は力を体感させられた書籍だったので紹介したい。

1.三菱を育んだ歴代社長

三菱を創業した岩崎弥太郎に始まり、2代目弥之助、3代目久弥、4代目小弥太が各人の個性を活かしながら、様々な難局を乗り越えていく。

①創業者 岩崎弥太郎:豪放磊落、土佐藩に生まれ、長崎の土佐商会で外国商人や坂本龍馬の海援隊に対し、ハッタリも交えながら、渡り合い、三菱商会を一大海運業に育て上げる。一方、海運業の寡占化を嫌う政府が設立した共同運輸との存亡をかけた死闘、その果てに病に倒れる壮絶な人生。自分は「三菱は政商」という認識でいたので、弥太郎のこの最後には驚いた。

②二代目 岩崎弥之助:順良且つ、協調性の高い人間で、弥太郎をよく補佐し、弥太郎臨終の際の後継者に指名される。基幹産業である海運業から完全撤退するという苦渋の決断を迫られながらも、最終的には共同運輸との合併を達成し、日本優先を誕生させる。海運業から撤退した後は銅山、水道、炭鉱、造船、銀行と多角的に事業を発展させ、その礎を築く。現在も続く丸の内オフィス街を日本初の一大ビジネスセンターとして作り上げたのも彼の功績。

③三代目 岩崎久弥:寡黙で真面目一辺倒。その実直さは娘たちから「木石のような方」と評されるまで。経営の合理化を進め、巨大化した組織を「財閥」へと育て上げる。農業にも参画し、海外で油やし、コーヒー、茶の栽培を展開するが、太平洋戦争敗戦により、その全てが灰燼に帰す。

④四代目 岩崎小弥太:社会主義を理想とし、一度は政治家を志す。財閥化を推進する一方、電機、航空機、化学事業など、将来国家に役に立つと思う事業には積極的に投資した。太平洋戦争敗戦後はGHQによる財閥解体に対しては、「国民として為すべき当然の義務に全力を尽くしたのであって顧みて恥ずべきものは何もない」と断固拒否。更に戦時中敵国であったアメリカの会社に対するロイヤリティを積み立て続け、株式も保全するなど漢気に溢れる人物。

全員に共通する意思。それは「国のため」に事業をする、ということ。そのために様々な艱難辛苦を甘受しなければならなかった。どれだけの絶望や悲しみに打ちひしがれたのだろうか。おおよそ自分には想像もつかないが、この最も苦しい課題に正面から取り組み続けたからこそ、三菱は今も、日本を代表する企業なのだと実感した。大河を為すには理由がある。

2.筆者からのメッセージが心に痛かった。

筆者である河井敦氏が、作中このような一節を投げかけてくる。

「多くのサラリーマンが会社にしがみついているのはなぜか。それは家族のためだと言うだろう。(略)もしかしたら、家族を抱えていることを言い訳にして自分の臆病を隠そうとしているだけではないのか。そういう人に自分の人生なのだよ、と私は言いたい。(略)たった一度しかない人生を、臆病のために台無しにしてしまっていいのだろうか」

非常に心が痛む。正に今の自分だからだ。僕には、今、自分の人生が何かすら、正確には分かっていない。だから、「臆病」な自分をなだめつ、すかしつ、自分の人生を僕は選択したい。おおよそ三菱四代には程遠いけど、それが今、僕のかけがえのない夢だから。

REEさん素晴らしい書籍を紹介してくれてありがとうございます。

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この記事を書いた人

重崎 宗

重崎 宗

2018年8月から社会保険労務士としてキャリアをリスタートすることになりました。

ブログ継続のためにWiifit(現在はWiifit「U」)で、インドア「ゆる」トレ(Wiifit「U」運動習慣)と体重測定を2017年2月から開始。500日以上継続して行い、その記録をブログに上げています。結果、BMIは23前半から21台後半まで落ち、5Kgのダイエットに成功しました。

1993年Jリーグ創設当時から、鹿島アントラーズサポーターでちょくちょくカシマスタジアムを観戦に訪れております。

好きな飲み物はアイスコーヒー。好きな食べ物はラーメン。今はラーメンに偏りがちなので、アイスコーヒーの記事も伸ばしていきたいと思っています。

ブログを書き始めたきっかけは「自分らしく」生きるためには「自分自身」をアウトプットしなければならないと感じたから。

社会保険労務士専門分野、幼いころから患っているアトピー性皮膚炎に関してもアウトプットしていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。